1995年にユネスコの世界遺産に登録され、特に荻町は、世界遺産となった集落の中で114件と最も多くの合掌造りが現存する。茅葺屋根であるため、火にはとても厳重である。等間隔に家事となった場合火を消すためのホースが設置されており、その扱いは学校でもならうため、中学生でもできるという。そのホースは水圧だけで扱えるため、停電になっても使えるそうだ。隣に燃え移らないようにするための工夫もしている。

 戦国時代には、「火薬」を税として納めていたため、合掌造りの地下には、火薬をつくるための場が設けられている。その後は、広い屋根を生かした養蚕業で栄えた。ひとつの屋根に何百万匹の蚕を飼っていたため、家族制で産業を保っていた。家族制では、長男しか家を出ることができず、次男、次女からは通い婚で、家を出ずに家族のもとで働くことが普通であったという。どの世帯でも何百万匹の蚕を飼っていたため、蚕が桑を食べる音がサウンドスケープとして地域の音になっていたと考えられる。その後は、稲作に力を入れつつ、現在の観光業に至っている。当初、村の中で観光業をしていた人は、非常に少なかったそうだが、現在は、観光業に携わっているひとが8割を超えているという。また、観光業の多い荻町では、若者の村離れを防ぐためにも、祭りや行事があるときは、みな仕事を休業するそうだ。地域の祭りのときは、学校も休みになり、準備の段階からこどもたちも一緒に楽しむそうだ。その際、大人はどぶろく酒という地酒を楽しむという。

 合掌造りが並ぶ白川郷の、特徴的な家のつくりとして、お仏壇とトイレは対極にあるという特徴がある。また、お仏壇が置いてある家の壁は、外からも簡単に外すことができるようになっており、家事の際にもご先祖様をすぐ持ち出せるような工夫がされている。隣同士の家では、配慮がされており、トイレが真ん中となっている。「お仏壇 居間 トイレ」「トイレ 居間 お仏壇」という並びにし、トイレとお仏壇が接すること、お仏壇同士が背中合わせにならない事が考慮されている。

 また、軒の高さを見るといつの時代につくられているか予想することができるという。軒が低いものは、主に江戸時代につくられているという。これは徳川の門よりも低くするというしきたりがあったためである。明治時代以降につくられたものからは、そのしきたりをあまり気にすることがなくなったため、比較的軒が高くなっている。

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